原点

遡って振り返ると、少し変わった少年だったのかなと思います(苦笑)。常に何かに違和感を感じていながらそれを表現できずに過ごしていたような感覚です。今でもよく覚えているのはとにかく外にいることが好きでした。落ち着く場所として、庭先やベランダはもちろん、近くの雑木林や、空き地、公園など、人が少なくて光と風に触れられて空が広がっている景色の中にいる事を選んでいたのかもしれません。

ですので、友達と連むという習性はあまりなく、基本一人で過ごす時間を好んでいたため、友達は少なく学校でもまあ地味な存在でした。(笑)そして、なぜかターザンに憧れていました。大自然の中をほぼ裸で自由に動き回るあのイメージに、何か圧倒的な魅力を感じていた事は今でもよく覚えてますし、つまるところ、それを追いかけているうちに、今に至っているのかなと思います。(今もほとんど変わっておりません)

・建築学生/写真家/山道具屋 を経て、整体師になるまで

この業界は専門学校などを卒業後、早ければ20代前半で開業する方もいれば、年齢は違えども脱サラで異業種から整体業界に入ってくる方も多々いるのですが、かく言う私も脱サラ組です。ただ、脱サラといっても、少し異質かもしれないので、少し遡ってみましょう。

まずは大学ですが、「建築学科」卒業です。建築学生として建造物の設計を中心に構造、環境との共生など幅広く学んでいました。ひたすら設計の課題に向き合い、毎週のように徹夜をして図面を引いたり模型を作る日々。通学時間が2時間と遠かった事もあり、週の半分近くは学校に寝泊まりしてました。(ただ、今考えるとその生活に酔っていただけかもしれません。)

当時はまだデジタルカメラやPCの普及もまだまだでしたので、図面は手書きがスタンダードで、模型写真はフィルムカメラで撮影しプレゼン用には拡大コピーで提出していました。そんな生活を繰り返す中で、自身の趣向や思考を深掘りしているうちに徐々に建築設計に対する興味よりも、模型写真撮影用に買ったカメラそのものに強い興味を持つようになってしまいました。

こうなってしまうともう誰にも止められません。3年生の後期からは設計コースから外れて、写真を撮り続けるためにはどうすればいいのか。仕事にできるのか?親の反対なども当然ありましたが、食えるかどうかも分からないまま、結局写真も道へ進む事になりました。

写真家、と言うと聞こえはいいかもしれませんが、結局趣味の範囲から脱する事が出来ないまま時間は過ぎて行きました。「仕事」として考える事が出来ず、作品を撮っては個展をしたり、好きな雑誌にだけ営業に行ったりするだけでした。そうこうしているうちに、どんどんモチーフもなくなり、何を撮るべきなのかも分からず袋小路に入っていくばかりの鬱々とした日々を過ごしていました。

そんな折、よく通っていた池袋のジュンク堂でいつものように片っ端から写真集も読み漁っていた時、ふと山の綺麗な写真が目にとまりました。それまでは友人のポートレートや街のスナップを中心に撮影しながらあーでもないこーでもないと小難しく考えてばかりいたのですが、その山の写真を見た時、一気に霧が晴れていきました。自分が綺麗だなとシンプルに感動したものをできるだけそのままに受け止め撮影し、その写真を見た誰かが同じように、シンプルにその綺麗さに感動してくれたら嬉しいな、と。

「自分の表現」に拘りすぎて見落としていた、「誰かに喜んでもらうための行為」としての撮影の意味を思い出しました。この時点で写真を仕事にする事への未練がようやく断ち切れたのかもしれません。

山や自然を素直に撮ろうと決めたはいいものの、大人になってからの登山経験はありませんでした。じゃあどうする?山道具屋でバイトしよう。そうと決まれば即行動。早速山道具屋さんでバイトを始め、登山経験を増やしながら、ひたすら山や自然の写真を撮る日々に没頭して行きます。山道具屋で生計を立てながら、休みの日は大好きな山に行って写真を撮りまくるという、山と写真だけの生活を結局5年くらい続けていました。

5年続けていると、もちろん色々な出会いがあります。写真だけの頃はひたすらに孤独でしたが、山道具屋では本当に多くの色々な方との出会いがあり、様々なアウトドアアクティビティを経験させて頂く機会にも恵まれました。雪山登山やクライミング、カヤックやトレイルランニング。そう、ここでついにトレイルランニングと出会ってしまいました。それまで「走る」事がとにかく大嫌いでした。(今でも実は、道路を走るのはあまり好きではありません。。。)初めて誘われた時はどう断るかしか考えてませんでしたが、まんまと騙され結局走る事になってしまいました。

そして実際に走ってみると、衝撃でした。なんだこの楽しい遊びは。きついし、怖いとこもあるけど、最高過ぎる。もうここまで来ると、写真の優先順位はそれなりに下がってます。カメラは持たずにiphoneで代用OK。あれだけフィルムカメラに拘り、自宅に暗室を作ってこもり続けていた日々が嘘のようです。

トレイルランニングに纏わる色々を調べたり読み聞きしてるうちに、ついに一人のスーパーヒーローを見つけてしまいました。アントン・クルピチカと言うアメリカのトレイルランナー。とあるブログのリンクに貼ってあった動画で彼を見つけてしまった時の衝撃は今でも痛烈に覚えています。まさに、私が小学生の頃にイメージしていた「ターザン」が現れたのです。(この辺の話は興味ない方はすっ飛ばしてもらってOKです苦笑)そこからさらに一冊の本に出会います。『BORN TO RUN』。

今現在、ワラーチと言われるサンダルや、ルナサンダル、ビブラムファイブフィンガーシューズや、裸足で山を走ったり歩いたりしてる皆様は当然ご存知と思いますが、この衝撃もすごかったです。本の内容としては、ランニングシューズがどんどん最新技術で作られてるにも関わらずランニングで怪我する人が減らないのは何故か、と言うところからスタートして、人間の本来の機能を見直しましょう。と言うお話。

この動画を見た瞬間、全てを持って行かれました。バイブルです!

・最後に

最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございます。私が整体と出会うまでの経緯を書かせていただきました。この業界には歴が10年20年以上という先生も本当に数多くいます。そういう先輩方に比べれば業界歴6年の私はまだまだちっぽけな存在度と重々承知しています。が、上記のような経緯を経て、今この土俵に立たせて頂いてる以上、経験年数だけでは計れない、私にしか出来ない事があると自負しています。誠実に皆様と向き合い少しでもお役に立てれるよう全力で施術させて頂きます。

最後の最後に

私は、yarnでの施術を通して、皆さんの身体に眠る「自然」「野生」を一緒に取り戻したいと思っています。身体の機能をできる限り使い尽くしながら大自然の中で身体を動かす喜びを共有しましょう。よろしくお願いします。