ヒトのからだ/三木成夫

ちょっと時間かかったけど、本編なんとか完読。とは言え、そんなに容易な本では当然ないので、あと何回も読まないと理解はできないかもしれないので、完読とは到底言えないか。

発生学、生物学の視点からヒトのからだを考察した一冊。と言ってしまうにはあまりにも雑な紹介かもしれないが、ヒトの体を学んでいく上で、ヒトの体の骨や筋肉の名前を覚えただけではあまりにも浅い学びにしかならない。机上の空論。整体など、徒手療法による治療行為や施術をしていく上でもちろん技術知識がないと話にならないのだが、もっと大事な事はカラダをどう捉えているか、という視点だと思っている。そしてその視点は決して一つに絞らずにあらゆる視点を持ち得る必要があり、様々な角度から常に体をみる事が重要。

そもそも、一般的な不調や不定愁訴に対する私の考えとして「自然である」事から外れていった時に表れるものとの認識がベースにある。「不自然」が続けば不調が表れるのが当たり前。ちょっと強い表現かもしれないけれども、それが私の考え。では、「自然」てどの状態の事か。というとてもとても大きな問題が立ち現れる。

この問いは、私が建築学生だった頃に直面した最大の問いであり、未だに自分なりの回答さえ見つけられていない。あの頃から、そのことばかり考えているし、もっと遡れば、小学生の頃に原始時代に憧れていたところから何も変わっていない。その問いに対する思考のために今まで色々な事を経験してきたのだと思う。堂々巡りを繰り返しながらあれこれしてみたけど、答えに近づくことも出来ずに目の前の生活との折り合いを付けるように騙し騙し進めてきてしまったのかもしれないとさえ思う。

整体の仕事をするようになり、毎日毎日患者さんの体に触れ体の勉強を続けていると、以前より少し近づいてきているかなと思う時もあるが、どうしても目の前の症状に対する知識や技術を優先的に考える事が多くなり、その根本的な問いに対して真剣に向き合う時間が少なくなる。自然療法や自然農などといった「自然」という言葉がつくものにはすぐにアンテナが反応し、興味のままにそっちに向かって行くこともある。どれも確かにとても共感できるものではあるし、その事をやっていきたいとさえ強く思うのは事実だが、問いに対しての回答が得られたか、ということに関していうとそれはやはり違った。

ヒトと自然。現代社会や文明はどこまでが自然でどこからが不自然なのか。

そんな事を常に考えていた時に、先日ブログでも紹介したA-wearを知った。開発者の内田さんのお話の中で「四足歩行から二足歩行へ」変わったことに対するお話を聞いたとき、一瞬、光が見えた気がした。「あ、この視点だ」と。ヒトと自然という対で考えててもそりゃ話は進まない。四足歩行をさらに遡ってみよう。「生物」の発生からヒトまでの変化を勉強すれば何かもっと核心に近づけるのではないか。そう思って色々調べ始めて最初に気になったのがこの本だった。

内容に関する詳細はここでは書きません。ただ一つ言えるのは、建築学生の頃に私が抱いた違和感と葛藤に対する一つの回答が突然現れたような感覚になったという事。ヒトの哀愁。それを受け入れ、限られた生を全うすることの意味。そんな事を教えて頂いた感覚。

興味ある方は一度是非ともご自身でこの本をお手にとって読んでみてください。

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