ルナサンダル
このサンダルで山を歩いたり走ったりするようになってから
約10年くらい経つだろうか。かれこれ6~7足は履き潰してきた。
一時期、トレランっぽく、標高や時間、距離を意識しながら
トレランシューズ履いたり、ザック背負ったり、ログ取ったり、
「競技」的に頑張ってた時期もあったけど、
自分には合わなかった。
で、原点回帰で、ルナサン履いて、手ぶらで、適当に走ったり歩いたり。
数字を意識せず、身体の状態にひたすら向き合う。
身体の使い方全般、足裏感覚、心拍の上がり方、疲労の蓄積感、痛みの出方
言葉にできない開放感、気持ちよさや、何かの気配。
五感全開。覚醒。アタマスッキリ。
山遊び、山岳競技、人それぞれの遊び方向き合い方があって、
そのどれもがかっこいいし、尊敬、憧れ。
とは言え、自分がそれをするか、あるいは出来るか、は別問題。
それはそれ、これはこれ。
私にはこのスタイルが一番しっくりくる。2〜3時間、
なんの気兼ねなく、気ままに、限りない軽装で山を好きに走り回る。
その時間で得れる開放感や解脱感、自分の身体への新たな気付き。
無防備と言える装備で、一人で入るからこそ得れるもの。
ゴリゴリに装備決め込んで、ルールの中で、他人といると
それはそれで楽しいが、決定的に埋まらない穴がある。変に疲れる。
むしろ浮き彫りになる。
良し悪しではない。合う合わないのお話。
結構何をしていても飽きやすい私が、懲りずに飽きずに、
むしろどんどん引き込まれ続けている世界。
ルナサンダルと体軸。この事について考えたり、実践している時の充足感は
ちょっと他には変えがきかない。
与えられた遊び、誰かの作った土俵でおままごとするのは飽きた。
自分の身体を味わい尽くし遊び倒す。
余計なものが削ぎ落とされて、心身浄化され、
脳も身体もあるべき状態、ニュートラルに戻り、
そこから生まれる思考や感性には淀みなどなくとても純粋に思える。
そのまんまの自分が出てくる。
なすべき事、本当に必要なモノコトが分かる。
とても個人的な経験でありながら
ある意味でもとっても普遍的で本質的でもある。気がする。
たかがサンダルされどサンダル。
「街用のちょっとおしゃれで履きやすいサンダル」で終わらさず、
ガシガシ山で使い倒してこそ、その真価が見えてくる奇跡のサンダル。
あたまでっかちだらけで、身体感覚が乏しくなる一方のこの時代
スピ系にハマったり、健康情報をネット上で食い散らかしてる時間あるなら、
とりあえずサンダルで山走った方が、数億倍、心身健康。