高麗神社

初詣は高麗神社。

正月休みが明けて人が少なくなった頃にお参り。

以前は神社に何も感じてなく、

なんとなくお参りしてただけでしたが、

身体の事色々探究してると、

自ずと、歴史も辿る事になる。

今ほど医学が進歩していなかった頃、

情報量が少なかった頃、

当時の人々は

何を感じ、何を思い、何を見ていたのか。

情報に溢れて技術の進歩によって

本当に豊かになったのか、

何をして、豊かと言うのか。

何を得て何を失ったのか。

無い事の豊かさは、確実にある。

そういうところまで辿り考える事で

今の時代の身体のトラブルの、

本当の原因や、あるべき姿、、施すべき事が

立ち上がってくるような気がする。

そんな事を学び考えていると

神社⛩や、お参りがなんだかとてもとても

大きな意味を持ち始める。

手を合わせ、礼をする。

息を整え、姿勢を見直す。

お参りしながは、身体と、自己と向き合い、

世を、皆を思う。

今に集中。

とても豊かで至福の時だと、この歳になって知る。

特別な事ではなく、

ただただそこにある事。

それがいかに尊い事か。

有り難し。日々感謝。

皆様のお身体が、元気で健康で

そして少しでも豊かな時間を紡げるように、

自分に出来る事を愚直にするのみ。

それが私自身の喜びであり、生き甲斐。

PS

鳥居⛩=丹、と知った時の感動たるや😳

参道=産道

そして、、

ね。

昔の人は本当に凄い。。

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