解剖体験




今日、施術中にお客様の身体に触れていて、
ふと思い返された、解剖体験の記憶。
忘れないうちに備忘録。
死後2日の鹿の脚の解剖をした時の写真。
プルンプルンの新鮮なご検体。
ありがとうございました。。今から約1.5年前。
この解剖の前と後で、身体への理解度や、皮膚下の階層のイメージが強烈にアップデートされ、触れ方が一気に変わったのです。百聞は一見にしかず、とはこの事。
メスと手を使い、骨膜まで解剖させて頂きました。
(3枚目は、アキレス腱の、筋と腱の移行部。)
誤解恐れずに言います、
とても美しかったです。
巷で、筋膜という言葉がよく使われてますが、
その実際はどうなのか?
ホルマリン解剖では質感は失われた状態と聞きます。
ヒトの身体の解剖はまだ未経験ですが、この鹿の解剖の時のこの質感の感覚が体内にインプットされてからは、触れる際の意識が数段レベルアップした事は間違いないと思います。
一方で、今学んでいるのは、
身体意識を主とした見えない部分の事。
見えるモノと見えない世界。
そして、触れられる領域。皮膚。
どこに境界があるのでしょうか?
分けて考える事自体がナンセンスではないか。
より具体的なモノから抽象化していった極の一つとしての身体意識、あるいは気と呼ばれるもの。なのかなと。いずれも、身体の不思議への興味の矛先として同等。
そもそも、具体も、
突き詰めていけば原子やら粒子やらなんやらで
肉眼では見えない世界になっていく。
お客様の症状を治す
ただただその目的のために学べる事は学ぶ。
流派や方式、団体のなんやらへのこだわりは全くありません。小手先のコトではなく、本質を捉えられる学びか否か。それだけが判断基準。ニセモノを学んでる暇は無い。何故だかその辺りの嗅覚はなかなか鋭いと自負している。
この両極端とも言える学びがインプットされた上で、どう解釈しどう表現出来るか。徒手療法としてどれだけ結果が出せるか。
どっちがだけでは、至らない。
徒手療法家であれば、具体的な解剖の感触は知るべき。
いつか必ず、ヒト様の解剖は体験したい。
しなければいけない。